中国ドラマ【君花海棠の紅にあらず 】の時代背景:京劇の歴史

1930年代が舞台の、京劇役者について描いた中国ドラマが日本でも公開されています。
中国文化、京劇や近代に入った当初の中国の時代背景などが分かりオススメです。

今回は、その中国ドラマ【君花海棠の紅にあらず】の時代背景について紹介します。

なお、中国の歴史年表ごとのドラマについては、「中国ドラマの歴史年表をわかりやすく」の記事で紹介しています。中国史全体について知りたい方、時代ごとのドラマの一覧について知りたい方は、そちらも是非ご覧ください!

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【君花海棠の紅にあらず 】のあらすじ

まず、【君花海棠の紅にあらず 】のあらすじを紹介します。

時は1930年代、北平(ほくへい:現在の北京)。稀代の辣腕で台頭した豪商、程鳳台(チョン・フォンタイ)は、伝統に縛られない大胆な手法が地元の商人たちの反感を買っていた。しかし、彼の勢いを無視できない北平の商会の会長は、そんな程鳳台の機嫌をとろうと、彼を北平一の人気役者、商細蕊(シャン・シールイ)の舞台に招待する。確かな実力と妖艶な魅力を持った商細蕊に惹かれる程鳳台。芸は逸品だが、その強すぎるこだわりと荒い気性が仇となり商細蕊は、対立する地元の京劇界が仕込んだ客に難癖をつけられる。そこに居合わせた程鳳台が商細蕊を救ったことをきっかけに2人は心を通わせ、程鳳台は商細蕊の一座を全面的に支援するようになる。共に支え合い、歩み始めた程鳳台と商細蕊だったが、程鳳台の妻は役者に入れ込む夫を快く思ってはいなかった。そんな中、戦争の影が色濃くなると、自由に舞台を上演することができなくなり…。

京劇とは

「京劇」は、中国の伝統的な古典演劇です。

中国では今でも京劇用の劇場があり、観光客でも気軽に見学することができます。
筆者も中国で何回か見ました。
事前に外国人向けの英語で演目のあらすじの書かれたパンフレットをもらえる場所もあり、中国語が分からなくても楽しめます。

日本でも新潮劇院で見ることができます。

京劇の歴史

京劇が流行する以前の中国では、崑劇(崑曲)という古典演劇が人気でした。
崑劇(崑曲)は、蘇州(上海近郊の水郷で有名な街)の近く崑山(上海と蘇州の間に位置)のあたりで起きた演劇です。

「崑劇」は、文学的で難解で冗長でした。

一方、京劇は、清 の時代(日本の江戸時代あたり)に誕生しました。
京劇は、湖北省(武漢のある省)、安徽省(中国で最も有名な山である “黄山” のある省)で使われていた節回しをベースに、安徽省で誕生しました。

「京劇」の誕生は、1790年ごろ皇帝である乾隆帝の80歳を祝うために、安徽省の劇団が北京で公演したのがきっかけでした。
乾隆帝の時代は、以前、紹介した 中国ドラマ『瓔珞<エイラク>』『如懿伝』の時代 です。

それまで中国で人気だった「崑劇」が難解だったのとは違い、「京劇」は上演時間も短く、大衆に理解しやすい内容でした。
「京劇」で演じられる話は「三国志」「水滸伝」「西遊記」の有名な箇所を脚色したものが多いです。

京劇は大衆受けがよかったこともあり、その後、中国中で人気となり他の地方の文化的な影響も受けながら発展しました。

【君花海棠の紅にあらず 】の時代の京劇

ドラマの舞台となった1930年代には、日本公演も実施しました。
梅蘭芳(メイランファン)という女形の名優がいました。
かの芥川龍之介も京劇を鑑賞しました。
ドラマでも、当時敵対国だった日本に向けて京劇を行う場面が登場します。

「中国戯劇学院」でジャッキーチェンも子供時代に京劇を学んでいました。
7歳から10年間なので、ジャッキーチェンが京劇を学んでいたのも1960年代です。

「七小福(邦題:七小福 夢に生きた子供達)」という1988年の映画で、京劇を学んでいたころのジャッキーチェンの話が映画化されています。

【君花海棠の紅にあらず 】の後の時代の京劇

しかし1960年代後半からは、京劇の人気は下火になっていきます。

京劇が廃れた理由は2つあります。

1つ目は、香港映画会社「シヨウ・ブラザーズ」の登場により、カンフー映画が流行りだしたことです。
2つ目は、1966年~1976年の「文化大革命」により、京劇の上映が禁止されたことです。

1つ目のカンフー映画については、ご存じの通りです。
カンフー映画は、古典演劇である京劇よりも、さらにアクションも大きく大衆受けがよかったのです。

2つ目の「文化大革命」では、孔子の儒教のような中国の古い考え方を「悪」とする動きがありました。
その中で、古い演劇だった「京劇」も「文化大革命」があった1966年~1976年には演じられなくなりました。

【君花海棠の紅にあらず 】の時代背景

ドラマは、1930年代、中華民国の時代です。
中華民国は、皇帝国家だった清王朝の後の近代国家の時代です。

【君花海棠の紅にあらず 】の時代になるまで

清王朝は、1644年から1912年まで260年以上も続きました。
日本は、江戸時代(1603~1868年)から明治時代(1868年~1912年)にかけての時代です。

清王朝時代の後半は、アヘン戦争、日清戦争、日露戦争、辛亥革命と大きな戦争が続くことにより、最後は1912年に滅亡しました。
そして、1912年中華民国が成立しました。

清王朝を舞台にしたドラマは、「エイラク」や「如意伝」などを見ていただくと、どのような時代だったか分かると思います。

ドラマ【君花海棠の紅にあらず 】の時代は、辮髪(ラーメンマンの髪形)をしていた皇帝統治の時代が終わり近代化しはじめた時代の中国を描いています。

【君花海棠の紅にあらず 】の時代の中国

ドラマ【君花海棠の紅にあらず 】は、1930年代の中国が舞台です。

世界では1929年は世界大恐慌が起き、中国の隣のロシアではスターリンが独裁体制をしていたりと、世界的に不景気な時代です。

中国では、1931年満州事変(九一八事変)が起き、中国東北3省(遼寧省・吉林省・黒竜江省)を日本の領土としました。

中国東北3省(wikipediaから引用)

ドラマの中でも登場しますが、1937年の7月には、盧溝橋事件(七七事変)が起きました。
盧溝橋事件(七七事変)は、日中戦争、さらには第二次世界大戦のきっかけになった事件です。

盧溝橋は北京南西にある橋です。
当時、中国に進出しようとしていた日本軍と中国軍がにらみ合いをしていた状態でしたが、
偶発的に銃撃戦が始まり、日中戦争、第二次世界大戦へと拡大していきました。

1937年8月には上海でも上海事変が起きました。
12月には南京を日本軍が占領。南京大虐殺を行いました。

このような時代背景のため、ドラマでも若干ですが、日本へ批判的な場面も登場します。

【君花海棠の紅にあらず 】の後の時代

1941年太平洋戦争、第二次世界大戦がはじまりました。
1945年ポツダム宣言受諾により終戦しました。日本は敗戦国になりました。
1949年、現在に続く中華人民共和国の成立します。

【君花海棠の紅にあらず 】の原作はBL(同性愛)小説

【君花海棠の紅にあらず 】の原作はBL(同性愛)小説です。

歴史的には、一時期を除いて昔は中国で同性愛は禁止されていませんでした。
18世紀前半など一時期だけ違法でした。

現状の中国の同性愛事情は、非常に厳しいです。
中国で同性愛が禁止されたのは、近代以降の西洋文化が入ってからです。

台湾では同性愛結婚が認められましたが、本作が製作されたのは、中国本土です。

中国本土では、少し前になりますが、2018年にBL漫画を出版した作者が逮捕され懲役10年と判決が下されました。

あれから5年弱、ドラマ自体にBL要素は少ないですが、このようなドラマが放映されるようになったのは、時代の移り変わりでしょう。

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